道の途中で

生き辛さ、依存性や不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

思考

繰り返されることばを

考えてみるとものごころがついた頃から、私の頭の中はいつも自分に対する否定的なことばでいっぱいだったように思う。 「きっと失敗する。あなたには価値がない。ほらまた間違えた。」 何かに挑戦する時も、その最中も、いつもそんなことばと戦いながら何と…

過去の経験を背負った肉体という乗り物を

昨日、とあるセラピストさんのカウンセリングを受けました。 その方は私が心の中で勝手に師と仰いでいる方でもあります。 私たちの肉体は、どんなに歳をとっても、どれほどの経験を積み重ねても、幼少期に培った記憶からは離れられないのかもしれません。 そ…

感情を知ること

今になって本当につくづく感じることは、過去の私がどれほど自分の感情を無いものにしてきたかということです。 ものごころがついた頃には、私は目の前にいる人の気持ちを計らってからしか自分の感情を表せなくなっていました。 泣きたいときも笑いたいとき…

自分に対する責任とは

ここのところ、自我を押し付けて来る人、相手を卑下し自分の正当性を主張する人との出会いが何人か重なり、それは何故なのかなと考えていました。 実際のところ、そのような人は私が最も苦手とするタイプで、かなり気も滅入ってしまっていました。 ですが、…

起こることの意味を知る

まだ幼いころ、ものごとは必然として起こり、それはただ受けとめ流れていくのを見守るものでしかありませんでした。 それがいつしか私たちには自分でコントロールできるもの、すべきもののように感じられるようになるのです。 そして、人はその意味を間違え…

内面の怖れを写し出す鏡

私たちは、常に自分が今まで培ってきたフィルターを通して他者を認識しています。 そのフィルターは、過去におけるさまざまな学習から作られてきたもので、個人の歴史がひとりひとり違うように、ひとつひとつ異なるフィルターです。 私たちが認識している「…

怖れや不安はどこから

私たちがこの世界に生まれ落ちたとき、誰もが「私」というものを知りません。 目に入る何かが、耳に流れる何かが、それが何であるかを知りません。 何も知らない赤ん坊にとって、もしかしたらその景色も「私」かもしれないし、その音も「私」かもしれません…

許すということ

「許す」というと、おそらく多くの人が嫌いなものや嫌いな人を許さなければならないと思うのではないでしょうか。 私たちは学校や家庭において、まず他者を許すことを学びます。 だけど、本当に許すべき対象は何よりも「自分」です。 精神的な症状や生き辛さ…

間違えることが怖い

以前、何かのQ&Aの記事を読んでいたら「間違えることが異常に怖いのですが、どうしてでしょうか。」という投稿がありました。 その投稿に対して多くの人が「八方美人なんじゃない?」「人によく思われたいんでしょ。」というような返答をしていて、私は一般…

思考は私ではない

私たちはいつも思考に囚われてきました。 「そうしなければならない」 「そう感じてはいけない」 「そうあるべきだ」 私たちは思考が自分だと思っています。 自らの思考において良いとされるものに従うことができる、悪いとされるものに従ってはならない。 …