道の途中で

生き辛さ、不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

ありのままのあなた

そのままの自分を認めてあげること。

自己承認はどこからくるのでしょうか。

 

私たちは誰もが親という神のいる世界の中に生まれます。

自分では何もできない赤ん坊にとって、親は神そのものです。その神によって私たちは愛され、保護され、少しずつこの世界の歩き方を覚えていきます。

 

最初は上手く歩けません。

何回も失敗を繰り返し、その度に神の元へ立ち返り、支えられ勇気付けられて一歩ずつ前へ進みます。

 

「大丈夫だよ」

「できるよ」

「私がいるから安心して」

「失敗しても大丈夫」

「そのままで良いよ」

 

幾度失敗して戻ろうと安心できる場所、そして繰り返される神からの教示によって、子どもは自分という存在が、この世界にとって大切なものだと知り、自己承認を身につけるのでしょう。

それはまた、いつしか神の手を離れ自分で道を開く力にもなります。

 

自己承認が上手く育たなかった子どもたちは、それぞれが何らかの理由で、その経験を得ることができませんでした。

そのままの自己を認められない子どもは、そこに認められる為の条件をたくさん付加することで、自分という存在の意味を獲得しようとします。

そうしなければ、自分が生きていることに安心できなかったから。

 

過酷な環境に生まれても、自己承認を身につけることができる人もいるかもしれません。

「私はもっと大変だった。」

「私はもっと苦労した。」

そう言う人も、よくいます。

 

だけど心の痛みそのものは、必ずしも経験の重さと比例するものではありません。

経験を痛みに転換する感受性の強さは、人それぞれに違います。

あなたが抱えた心の痛みは、小さなあなたにとって耐え難いものだったという事実、それが全てです。

 

与えられた環境の中で自己承認を身につけられなかった子どもは弱かったのでしょうか、劣っていたのでしょうか。

それは違います。ただ間違えただけです。

 

私は、ただ間違えました。

小さく未熟な子ども時代、外部で起こる出来事の原因を自分が悪かったから、至らなかったからだと間違えて認識しました。

抱えた心の痛みを、生きる力に転換する方法の正解をそれ以外に思いつかなかったのです。

 

誰しも成長した時に気づきます。

自我を持たないほどの幼い子どもには何の責任もないのだと。その存在は全てを許され、愛されるべきものだと。

 

そして、親は本当は神ではありませんでした。

親もまた、自分と同じような未熟なただの人間でしかなかったのです。

私たちと同じように、「間違える存在」でしかなかったのです。

 

もし、自分の間違いに気づいたのなら、あなたの中の小さいあなたに、そのことを教えてあげてください。

「あなたは、そのままで良い」のだと。

「そのままで、充分に愛される存在」なのだと。

それが、小さなあなたに受け入れられたとき、あなたのいる世界は大きく変わっていくのです。