道の途中で

生き辛さ、不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

根っこ(自己承認)を植える存在

自己承認は、人がこの世界で生きていくため大地に張る根っこのようなものだと、私は思います。

 

自己承認を育てるために、自分をもっと愛そうとか、ただ無条件に認めようとか、周りから愛されていることを知ろうとか、だけどその根っこすらないものはそれすら難しい。

それができる人は、多分その根っこはきちんと土の中にあって、それが途中から折れてしまったり、上手く育たなかっただけなのだと思うのです。

 

私という人間が生まれたとき、その根っこを私の足元に植えてくれるのは、神です。

それは、あなたがここに生まれて、そしてこれからここで生きることを許された証。

 

ひとりでは歩けない私たちにとって、それを植えてくれるのは、私たちそれぞれの神(親)でした。

生を受けたこの世界で、神と信じる者(親)から自分という存在を完全に許されていると知ること、それが揺るぎない根っこ(自己承認)になるのです。

 

根っこのない者は、地球に足をつけることが出来ず、ふわふわと漂うように進みます。自分をこの大地に根付けてくれる何かを、いつも探して。

その旅の途中で、たくさんの知識を得て、それが根っこになるかもしれないと錯覚します。

社会通念が、常識が、誰か正しい人の価値観が、知識が、自分を高めていくことが。それらを求めれば、それが得られるのかもしれないと。

 

だけど、それが根っこになることは永遠にありません。それは、根から繋がるはずの茎にしかならないから。

茎だけをいくら強く太く育てても、大地に張り水を吸い上げる根がなければ、それはいつもとてもとても脆いのです。

 

私は何度も求め、繰り返し、やっと気づきました。

その根っこは、私にはどうやったって植えられないことを。どんなに努力をしても、私には茎を育てることしかできない。

神にしか、それを植えることはできないのだと。

 

だけど、過去に私が神だと信じていたものは、本当はそうではありませんでした。

その事実を認識し、そして自らの内に存在する本当の神を求めたときそれは初めて、だけど確実に私の足元に根付いていきました。

 

私が戦ってきたたくさんの障害は、私の中に唯一真に正しく(ありのままで)あろうとする魂という存在に気づかさせてくれました。

そしてその魂は同時に、それを私に授けてくれた完全なるものがあり、またその一部が私の内にもあることを、教えてくれたのです。

それは、私にとって何よりも完全で絶対で揺るぎない唯一の存在です。その存在は、私という魂を無条件に赦し、そして愛します。

 

 

その大いなる存在を自分の内に認めたとき、根っこを持たないと思っていた自分の足元にも、太い太い根が伸びていたことを、私はようやく知ったのです。