道の途中で

生き辛さ、不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

親が子どもにできること

私は、現在2人の子どもの親ですが、自身が親との間の確執を長らく手放せなかったために、自分が親になることにずっと葛藤を抱えていました。

実際に親となってからも、怖れの中で子育てをしてしまった私は、決して良い親とはいえないかもしれません。

 

私が怖れていたことは、私のように子どもが育ってしまったら、という不安でした。

自分を愛せず、自己愛の不在の中で生きること、それがこの世界で生きていく上でどれほどの弊害になるか、身をもって知っていたからです。

 

私が子どもに求めることは、いつもたった一つだけでした。自分自身を無条件に愛せる子になってほしい、ということです。

その為に、私なりに愛情を注ぎ、表現し、気持ちを尊重し、ありのままを認める育て方をしてきたつもりです。

 

だけど、それもおそらく親のエゴなのです。

親はいつも、自分の内面の空虚な部分を子どもに反映させようとします。自分がそれを自覚している、していないに関わらず。

 

怖れからのエゴにより起こりうる行為、虐待も自分の中の不平や不満、満たされない空虚さを、子どもという力の弱い存在に反映した結果です。

 

また、愛情からのエゴは、期待という形となり子どもに反映されます。

「こういう風に育ってほしい。」

「こうあってほしい。」

それらは、そう育ちたかった、そうありたかった、自分自身の内面からの欲求に他なりません。

 

子どもは私たち同様、完璧な存在です。

ただ、先に生まれた大人よりも少しだけ、人がそれまで作ってきたこの世界のルールとの関わり方が上手く出来ないだけです。

いいえ、もしかしたら、この世界に慣れていない分、私たち大人よりもずっと、人がそうあるべき姿に近い存在なのかもしれません。

 

私は子育てをしていて、子どもに教えるよりも、学ぶことのほうが多いと、いつもつくづく感じます。

人が作り上げたこの世界のルールは、時に防御を必要とさせ、その防御は、人にありのままの存在で居続けることを、困難にします。

子どもの存在は、本来、人が愛そのものであることを、私に思い出させてくれるのです。

 

また、現実世界での親と子どものレベルは、今世において少しだけ先に、後に生まれてきただけの違いで、肉体より更に長い魂の歴史の中で、どちらが熟練されているかを知ることは出来ません。

 

親が子どもの為にしてあげられることは、生物的に弱い時期に、その命を守り、ただ無条件に愛することだけなのかもしれません。

そして、本当に子どもの幸せを望むなら、自身が自分の人生を生きていくこと、自分の内面と向き合い、そこに存在する恐れや空虚さに気づき、癒していくこと、それが最も必要なことなのかもしれないと思うのです。