道の途中で

生き辛さ、不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

心の病の原因

考えてみると、いわゆる心理的な病の原因の殆どは、自我(エゴ)とありのままの自分との争いによるものだと思うのです。

 

私は、アルコールに依存的になっていた時期も長くありましたが、きっかけは、内気で自信のなかった自分が、お酒を飲んだときには饒舌になり、自分に自信がみなぎる感覚を覚えたからです。

その感覚を忘れられなくて、悲しいときも、怖れるときも、何かから逃げたいときも、いつもお酒に頼りました。

その時だけは、弱い自分が、「そうありたい強い自分」でいられるような気がしたからです。

 

摂食障害や、不安症もそうですし、また鬱になる人も「こうあらねば」という自我(エゴ)が強く、弱かったり、できない己を認められないために、それらに陥ります。

 

私たちは、ありとあらゆる方法を使って、これまで「自我(エゴ)の自分」を本当の自分の姿だと思い込もうとしてきました。

だけど、心は決して騙されてはくれなかったのです。

「ありのままの自分」に気づかせるために、鬱、不安症、その他沢山の障害を私たちに送ってきました。

 

障害を抱えることは、とても辛いことです。

だけど、あなたの心は「自我(エゴ)の自分」を自分とするよりも、その辛い障害を抱えることを選びました。

 

そう考えると、こころのシステムは本当にすごいと思うのです。

「ありのまま」という魂の尊さを、誰に教えられるでもなく、私たちはずっと知っていたのです。

 

そして、同時に自我(エゴ)が本当は、偽りのもの以上にはならないことも私たちは知っていました。

そのような空虚なものに、真実を求めることが、間違っていることを私たちのこころは、ずっと教えてくれていたのです。

 

また自我(エゴ)は、偽りであると同時に、真実を見えなくしてしまうものです。

 

「ありのまま」のあなたは、本当はとても素晴らしい存在です。

だけど、その素晴らしさを妨げるものが「自我(エゴ)」です。

あなたが、自分を守ろうと、自分を大きく見せようと身につけていた「自我(エゴ)」こそが、あなた本来の光を妨げていたのです。

 

私たちは、何故「自我(エゴ)」を身につけることが、必要だったのでしょう。

それは、不安や怖れからの防御です。

そのままでは愛されないのでないかという不安、誰かに傷つけられるのではないかという怖れ、様々な不安や怖れを「自我(エゴ)」という鎧を被ることで、見えないものにしようとしたのです。

 

ですが、不安や怖れは無くなりません。

何故なら、あなたが「自我(エゴ)」の鎧を被っているから。

それを被り続けている限りは、「それを被らなければ生きていけないほど、怖れているあなた」をあなたに提示し続けることになるのです。

 

それは、まるでいたちごっこです。

怖れ→防御→自我(エゴ)→不安→怖れ

自我(エゴ)は、ずっとこのループから抜け出せないものです。

 

そう考えると、苦しさから自分を解放する唯一の方法は自我(エゴ)を脱ぎ去ることではないでしょうか。

自我(エゴ)を脱ぎ去る作業は、とても覚悟が入ります。何故なら、私たちはそれが自分の身を守るものだと、ずっと思い込もうとしてきたから。

 

でも、本当は自我(エゴ)にそんな作用などないのです。

自我(エゴ)を脱ぎ去ったとき、そこに残るものは「本来のありのままのあなた」です。

自我(エゴ)を持たないで生きることは、「ありのままで生きていくことができる怖れのないあなた」をあなたに提示してくれます。

そうなったときに、人は確実に怖れから解放されていきます。

そして、その時初めて、自我(エゴ)に隠されていた本当のあなたの素晴らしさに、あなたは気づくことができます。

 

私は、言わば自我(エゴ)の塊のような人間でした。

沢山の鎧を着て、何が本当の自分かすら分からなくなっていました。

今でも、それらに振り回されることも多々あります。

それでも、その鎧を大切に抱えていたころより、私はずっとずっと生き易くなり、そして自分の本当の良さに気づき、自分を愛することが出来るようになりました。

 

それは、私だったからでは決してありません。誰でもそうなのだと思うのです。

もし、その鎧を脱ぐことができないのであれば、それを阻むものは何でしょうか。

 

「強くなきゃいけないよ。」

「こうあらねば、絶対にダメだ。」

「こうあらねば、愛されないよ。」

「失敗するあなたは、許されないよ。」

鎧を脱ごうとする時に、あなたに何度も囁きそれを阻止しようとする声、それは、本当にあなたの声でしょうか。

 

私たちは、本当は最初から今までいつも完璧だったのです。

あなたの自我(エゴ)がどんなにそれを認めなくても、あなたの魂は、もうずっとそのことに気づいているのです。