道の途中で

生き辛さ、不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

私たちは生きる世界を選ぶことができる

書籍「奇跡講座」にもありますが(まだ勉強中です(^_^;))私たちが普段目にしているものは、全てが過去のものです。

奇跡講座 テキスト編

奇跡講座 テキスト編

 

 

奇跡講座 ワークブック編

奇跡講座 ワークブック編

  • 作者: ヘレンシャックマン,加藤三代子,澤井美子
  • 出版社/メーカー: 中央アート出版社
  • 発売日: 2011/12/15
  • メディア: 単行本
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私たちは、いつも過去に学んだ概念により物事を見ています。

手元にある鉛筆が、字を書けるもの、尖らせて使うものだと知っているのも、その湯呑みがお茶を飲むために使い、割れてしまうものだと知っているのも、ものを認識する際に過去に培ったフィルターを通すからです。

 

例えば、恋人から記念日にもらったマグカップと、100均で何となく購入したマグカップ、どちらが大切か、そのマグカップにどれだけの意味を持たせるかも、全て自分です。

私たちはいつも、ものごとを「ありのまま」に見ることは、出来ないのです。

 

それはまた、私たちが生きているこの世界も同様です。

私たちが世界を、周りを認識するとき、それは過去に自分が経験し、これまで得た概念や感情というフィルターを通しています。

 

認められ尊重され、自由に生きてきた過去を持つ人は、この世界が優しさに満ちているかもしれません。

逆に、悲しみの多い過去を持つ人は、いつも自分を見捨ててしまうような冷たさをこの世界に感じるかもしれません。

 

怒りの多い過去を持つ人は、世界は信用ならないものだと、また、人生に怖れを感じてきた人は、世界にとって自分は無価値だと思うかもしれません。

 

だけど、それは決して「ありのままの世界」ではありません。

大切なマグカップにたくさんの意味付けをするように、この世界に意味付けをしているのは、間違いなく自分なのです。

 

そして、私たちが経験してきた過去から得た認識、私たちが感じてきた感情は、本当に正しく、またそう感じなくてはならないものだったのでしょうか。

例えば、小さな子ども時代、周りで起こることの責任をあなたが自分が悪かったのだと捉えたとして、それは間違いのない事実でしょうか。

誰かに「あなたなんかいないほうが良かった」と言われたとして、それは本当に事実だったのでしょうか。それは、あなたが背負うべき悲しみだったのでしょうか。

 

私たちが普段見ているこの世界は、「ありのまま」でもなく、そして「不変」でもありません。常に移ろいゆくものです。

私たちが視覚で捉える世界では、長いものが短いものになり、大きいものが小さくなり、悲しみが喜びになり、正しいものが間違いになります。

そのような移ろいゆくものに、完全な正しさを求めることはできません。

 

「私は朽ちてゆくものしか見ていない。

私は永続するものは、何一つ見ていない。

私が見ているものは実在しない。

私が見ているのは、復讐の一形態である。

これが、私の本当に見たい世界だろうか。」

(奇跡講座 ワークブック編より)

 

私たちがこれまで、あらゆるフィルターを通した存在しない世界を見てきたように、私たちはまた、自らが住む世界をいつでも選ぶことができます。

 

もし私たちが、フィルターを取り去ることを選ぶのなら、残ることは全て「ただそこに存在する」という事実だけです。

そこには怖れも悲しみも存在しません。

 

視覚は、過去の感情や、培われたあらゆる概念を完全に捨て去ることは出来ませんが、それらのフィルターのない本当の世界、私はそんな世界を選んでいきたい。

その世界で、生きていきたいと思うのです。