道の途中で

生き辛さ、依存性や不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

思考は私ではない

先日、友人と引き寄せについて話していたのですが、

「私、めんどくさい思考だから、物質の引き寄せが幸せだとなかなか納得できないんだよね。」

と伝えたときに、友人から

「自分のことをめんどくさいなんて言っちゃダメだよ。」

と言われて、え?めんどくさいのは私じゃなくて思考だよと思ったのですが、あぁそう言えば私の中で「思考」=「自分」という認識がずいぶん薄れてきたんだな、と気づかされました。

 

とは言え、私も以前は思考こそ自分であると信じて疑わなかったし、だからこそそれを何とかコントロールしようとしてきました。

「そう思ってはいけない。」

「そう考えなくてはならない。」

常にそう考えては、ままならない自分を責めていたように思います。

 

思考は自分なのか

おそらく多くの人は、以前の私のように「思考」が自分だと思っています。

ですから、良いとされるものに思考を従わせ、悪いとされるものに従わないよう常にコントロールしなければならないと思い込んでいます。

 

だけど、思考は自分ではありません。

何故なら、思考が自分なのであれば、人はそれを完全にコントロールできるはずだし、そもそもそれに振り回されることなどありえないからです。

 

それでは、例えば今、何か言葉をひとつ思い浮かべてください。

何が浮かびましたか?

私は「芋」でした。

だけど、私は「芋」のことなんて考えようとしてはいません。ただ流れてきたのです。

それはどこからでしょうか。

 

つまりその苦しみは、本当は人から受けているもので、自分の苦しみではないかもしれない。それなのに、自分のものと思い込んで、自分の苦しみに変えてしまう。 

その苦しみはあなたのものでない (SIBAA BOOKS)

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ユング集合的無意識

そして、心理学者のユングもまた、人のこころはコントロールできる意識とコントロールできない無意識の領域があり、人はその無意識の影響を大きく受けていると提唱しています。

そして、その無意識の層には、集合的無意識という人類に共通する意識があるともしています。

要するに人の意識の一部は他者と繋がっており、そこから生み出された思考の影響をも人は多大に受けているということ、そして無意識による思考は自分でコントロールができないということです。

 

個人の思考が生まれる場所

また、個人の思考は主に潜在意識が司っています。

そしてこの潜在意識の基盤となるものは、生まれてからわずか13歳までという幼少期から少年期に培われてきた「過去の学習」によるものです。

 

思考とは、過去の知識の寄せ集めに他ならない。

思考は、決して現在である「今ここ」を知らない。

 

思考を生きることは、過去を生きることだ。

幻想を生きることだ。

過去はもう存在しないがゆえに、過去を生きることは失ったものを生きることなのだ。

そこにどんな幸福があるだろう。

?それ?は在る―ある御方と探求者の対話 (覚醒ブックス)

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思考は正しいものでもコントロールできるものでもない

このように思考は自分ではないし、正しいものでもコントロールできるものでもないのです。

であれば、それはそこにあることをただ認めるだけ、それ以上の価値を見出すものでは無いのではないでしょうか。

 

思考が自分ではないと知ることができれば、人は思考へのコントロールを手放せます。

そのとき、それはただ浮かんでは消えていくエネルギーの流れとなり、それに振り回されることも無くなります。

 

人とは何か

それでは思考でないのなら、人は一体何なのでしょうか。

それでは、今から思考を眺めてみてください。

目を閉じて、生まれては消えていく思考をコントロールせずただ眺めてみます。

そう、人は思考を眺めることができるのです。

何故でしょうか。それはその眺めている意識こそが自分だからです。

 

その意識を認識するとき、人は初めてそれが、思考にも、感情にも、肉体にも振り回されることなく、いつもにそこに存在していたことを知ります。

それこそが、人の本質である内なる神の意識なのです。