道の途中で

生き辛さ、依存性や不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

間違えることが怖い

以前、何かのQ&Aの記事を読んでいたら

「間違えることが異常に怖いのですが、どうしてでしょうか。」

という投稿を目にしました。

 

その投稿に対して多くの人が

「八方美人なんじゃない?」

「人によく思われたいんでしょ。」

というような返答をしていて、私は一般的にはそう認識をされるんだなと思ったのです。

 

それは自己存在の否定からの恐れ

私の考えるそれは、自分をよく見せたい、誰からもよく思われたいというポジティブな思考によるものではないように感じます。

おそらくそれは、もっと人の存在そのものを揺るがす恐れからくるものです。

彼女は、「間違うことのない自分」でなければ自らの存在価値が危うくなるような認識を、過去に潜在意識に刷り込んできたのではないでしょうか。

 

恐れの原因の大部分は過去の刷り込み

そしてその原因のほとんどは、生育環境に起因されます。

間違いを許さない厳しい親(養育者)、または間違いをさせないよう本人より先回りしてしまうような過保護な養育者に育てられた場合、その子どもは間違いをすることに異常な恐怖を感じるようになります。

 

以前の記事でも書きましたが、自力では生きていけない子どもにとって養育者とは神さまと同等の存在です。

養育者からの子どもへの扱いや子どもに対する認識は、そのまま子ども自身の世界観や自己認識へと繋がっていくのです。

 

「間違える自分」が繰り返し養育者に否定されてきた場合、その子どもにとって「間違える自分」が存在そのものの否定となり、そのために強い恐れを感じるようになるのです。

 

潜在意識は普段意識できない意識

「とは言ってもそれは子どもの頃の話ですよね?」

そう多くの人は言います。

ですが、以前の記事でも書いたように幼少期から少年期に培われる潜在意識の影響力は、人の思考の90%を支配しています。

 

更にこの潜在意識は、普段は意識をしたりコントロールが不可能な無意識の領域なのです。

 

潜在意識は幻想である

では、恐れを克服していくためには潜在意識を変えていくことが必ずしも必要なのか、もちろんそうすることで気持ちはとてもラクになります。

ただ、それは簡単なことではありませんし、それだけが必要なのかというとそうではないと思います。

 

スピリチュアルと呼ばれるものの中には、潜在意識こそが自分であり、そこを変えていくことが幸せへの道であると唱えているものもありますが(引き寄せなどですね)私はそうとも思っていません。

何故なら、潜在意識は今は存在しない過去の学習により培われた意識に過ぎず、真実ではなく幻想とも言えるからです。

 

大切なのは、その恐れが潜在意識の働きによるものであると、また自分が潜在意識という幻想に振り回されているだけなのだと知ることではないかなと私は思います。

 

非二元論とは

そして、間違えることの恐れを変えていくために「非二元」的な世界観はとても役に立ちます。

 

非二元論とは、全ての事柄を二元に分けないという考え方です。

白黒や善悪、正しさと間違い、長いものと短いもの、ネガティブとポジティブなど、この世界の一般的な価値観は常に二元です。

ですが、この二元の中に真実はありません。

 

二元論についてはこちらにも書いてあります。

https://lotus-flower.hatenablog.com/entry/2018/09/03/155433

 

間違えることは悪ではない

この二元的考え方だと、「間違える」ことは悪であり「正しさ」が善です。

それが「悪」であるという認識が、その事柄の排除に人を固執させます。

 

ですが、全ての物事は本来は善悪では分けられません。

例えば、光と闇があったとして、この場合、一般的には光が善で闇が悪と考えられると思います。

 

ですが、光が存在するためには闇が、闇が存在するためには光が必要です。

学びを得るには、「悪」であるはずの闇がきっかけになることもありますし、夜に「善」であるはずの光が強すぎたら、綺麗な星は見えません。

このように、物事の善悪や正しさ、評価などは、常に移り変わるものです。

 

間違えることはプロセスにすぎない

「間違えること」それはただのプロセスであり、正解でも間違いでも、善でも悪でもありません。

もし、その「間違い」によって結果的に気づきが得られ、何か大きな収穫を得ることが出来たのなら、それは二元的思考の「善」や「正解」にも変わり得るのですから。

 

人が生きる上で起こることに、「間違い」というものはひとつも無いのかもしれません。

どれだけ困難な障害であっても、その時どれほど心を痛めても、人はいつかきっと全てを意味のあることに変えていくことができるのだから。

 

そして、何より内なる神との出会い、それこそが、全てはプロセスに過ぎなかったことを私たちに教えてくれるのかも知れません。

「私」という夢から覚めて、わたしを生きる: ?非二元・悟りと癒しをめぐるストーリー?

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