道の途中で

生き辛さ、依存性や不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

虐待の連鎖を絶ち切るために

小学4年生の児童虐待死のニュースを連日耳にし、とてもやるせない気持ちになります。

ですが、同時にここまでの激しい虐待の中で辛うじて生き延びたとして、彼女のこころが本当に救われる日は果たして来たのだろうかと思うのです。

 

例え成長し虐待から逃れられたとしても、幼少期から繰り返し受けた心の傷を癒やすことは容易ではありません。

多くの人が、心の病や自殺願望を抱えながらようやく命を繋いでいたりします。

虐待被害者にとって、親からの直接的な虐待は終わったとしても、自らへの精神的な虐待はずっと続いていくからです。

 

親から充分な愛情を受けてきた人には、それはとても不思議な光景に見えるかもしれません。

何故そこまで自分を苦しめるのか、自分を愛してあげないのか。

もう終わったのだから良いじゃないか。

 

被害者のその自虐的思考や行為は、幼少期から刷り込まれてきた潜在意識の反応かもしれません。

そして私は被害者が無意識に行う自虐的行為こそ、親への最大の愛情表現ではないかとも思うのです。

 

何かの記事で、未熟な親の元に育った人は、どれでも良いから自分の好きな大きな木をひとつ選び、その木を親と思うことで心の安定をはかれると書かれてあるのを目にしたことがあります。

それほど、人は幼少期において親に認められ支えてもらう経験なしに、人生を生きることは難しい生き物なのかもしれません。

 

そして子どもは自分の苦しみ以上に親の苦しみを感じています。

自虐的行為や思考は、親を救いたいという気持ちの表れでもあると私は思います。例え本人の顕在意識がそう感じていなくても。

 

また、虐待をしてしまう親もおそらく虐待の連鎖の被害者に過ぎません。

虐待が起こってから、今回のような事件となる水際でもしそれを食い止めることができたとしても、悲しい連鎖はなかなか止められないのが現実です。

 

だから、虐待や連鎖を無くしていくために私たちが今できる最大限の努力は、それぞれが何より自らを癒やしていくことなのではないかと思うのです。

そして目の前で過去の傷に苦しんでいる誰かに手を差し伸べること、それだけなのかもしれません。