道の途中で

生き辛さ、依存性や不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

本当の回復とは

毒親という言葉は、「毒になる親」の著者スーザンフォワードが作った言葉ですが、この言葉が世に出たことでどれほどの人が救われたことだろうかと思います。

依存症や共依存、生き辛さなどの根本的な原因が自分ではなく、生育環境にあると知ることは、アダルトチルドレンにとって回復のきっかけになることは間違いありません。

 

回復のプロセスのまず初めの段階としては、ありのままの悲しみや怒りを感じきるという作業は必ず必要となります。

幼少期から封印してきた感情を感じきることは、ありのままの自分を認めるということが当然の権利であることだと知ること、また自分に罪はなかったのだと知ることです。

ですがそこを乗り越えたとき、毒親ということばから連想される「傷つけるもの」と「傷つけられるもの」という認識が逆に回復の妨げになることも多々あるのではないかと私は感じています。

 

ネットで毒親と検索をかけると、たくさんの記事が上がってきます。

そのほとんどが「傷つけたもの」(毒親)に対する「傷つけられたもの」(自分)の怒りや憎しみで溢れています。

自分の正当性を保つために、その怒りや憎しみを保持していくべきだという記事も多々あります。

ですが、それが本当の回復であり、人間の幸せに繋がるものでしょうか。

 

「傷つけるもの」と「傷つけられるもの」が存在するという概念は、私たちの意識に、この世界には敵が存在するのだと認識させ続けます。

その意識により、私たちは傷つけられることを、そして自分が誰かを傷つけてしまうことをずっと恐れて生きていくのです。

他者との間に壁を作り、消えない不安を抱え、人生に防御を常に必要とするのです。

 

それが本当の幸せでしょうか。

私はそうではないと思います。

本当の回復とは、傷ついた自分が自ら傷ついたのだと知ること。それは決して弱いからではなく、優しさからだったと知ること。

そして、私たちは誰かの魂を決して傷つけたりすることなどできないということを知ること。

何より、この傷ついたボロボロの姿はほんとうの自分ではないと知ること。

どんなにみずぼらしくて汚くて、もう動けないほど傷だらけに見えても、決して傷つかない魂を自分の中に見つけることなのだと思います。

 

甘いですか?

だけど、私は経験上これ以上の救いはないと思っています。

小さなころ、たくさんの抱えきれない傷を負ったものが自分の力で立ち上がり歩いていくために必要なことは、肉体的に精神的に誰かより強くなることではありません。

自分の人生に防御が必要でないと知ること、それこそが何よりの力となり回復になると私は思っています。