道の途中で

生き辛さ、依存性や不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

繰り返されることばを

考えてみるとものごころがついた頃から、私の頭の中はいつも自分に対する否定的なことばでいっぱいだったように思う。

「きっと失敗する。あなたには価値がない。ほらまた間違えた。」

何かに挑戦する時も、その最中も、いつもそんなことばと戦いながら何とかこなしてきたし、それが当たり前だと思っていた。

 

もし何かを成し遂げたとしても「そんなこと大したことじゃない。そんなことで良い気になるな。みっともない。」頭の中の私はそう呟く。

だから何を手にしたとしてもそれはとても容易く価値のないものに見える。

そうやって私はずっと生きてきた。それを真実だと思いながら。

 

自分を変えたい、そう思うときまず人は行動や結果や何か目に見えるものを変えることにどうしても目が向いてしまう。

それを変えられないが故にこんなに苦しいのだと思い込んでいるし、巷に溢れる情報の多くが私たちをそちらの方へ向かわせる。

ほらこれを手にすれば、あなたもこうなれば幸せになれるよと。

 

だけど、何を成し遂げ、何を手にしたところで苦しみは変わらないことにいつか気付く。

ならば今度は心を変えれば良いのかもしれないと思い始める。求めすぎるのがいけないのかもしれない。小さなことに感謝をして過ごせるようになればきっと苦しみから開放されると。

 

だけどそれもまた一時的なもので、潜在意識なんてそう簡単に変わるものじゃない。

スピリチュアルの世界では、潜在意識こそがあなたを導き、幸せにすると私たちに説くものも多い。だけどその幸せの中身をよくよく覗いてみると、結局は同じ物質的な引き寄せだったりする。

 

そうじゃないのだと思う。

答えはいつも自分の中にある。

自分の内に揺るぎない愛を見つけること。

愛というとたくさん誤解があるけれど、外側にある有限の愛ではなく、内にある無限の愛に気づくことだ。それは誰の中にも必ずある。

そして、肉体の目を閉じてその愛の視線で自分をみることだ。

 

肉体の目はいつも、あるものでなく無いものだけを見続けようとする。

これまでの人生で積み重ねてきたさまざまなことは、本当に本当に価値がなく小さなことだったのだろうか。

今手にしているものたちは本当に些細な、くだらないものなのだろうか。

 

そして、もし私と同じように、自分への憎しみのことばでいっぱいになりながら今まで生きてきたとしたら(多分これを読んでくれている人の多くがそうだろうと思う。)それほどの暗闇の中でも何とか光を見つけようと足掻いて生きてきたあなたは、本当にか弱く価値のない存在なのだろうか。

 

大切なのは、その大いなる目線に、自分の中心にいつも戻ってくることなのだと思う。

 

私の頭の中の声は、この先も止むことはないのかもしれない。それがこの肉体という乗り物の性だから。

だけど今の私は選ぶことができる。

その声を選ぶのか、大いなる声を選ぶのか。

過去の幻想ではなく、今ここに語りかける愛の声を私は選んでいきたい。

神さま、どうかいつもあなたを選んでいけますように。