道の途中で

生き辛さ、依存性や不安を抱える人へ。スピリチュアルが私に教えてくれたこと。

ゲシュタルトの祈り

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

ゲシュタルトの祈り wikipediaより)

人と人との境界線はとても難しい。

多くの人が誰かに傷つけられることを、誰かを傷つけてしまうことを怖れながら生きている。

私はこの境界線を引くという作業がとても下手だったと思う。

自分の言動が時に相手を傷つけてしまうと、また相手の言動が私を傷つけるのだと信じて疑わなかった。

だから、いつも相手の感情を読み、相手から求められる自分であろうとしてきたし、相手にもそれを求めてきたと思う。

 

だけど、実際のところそれは違う。

私の言葉があなたを傷つけた→私の言葉を聞いて、あなたは(自ら)傷ついた。

あなたの言動が私を傷つけた→私はあなたの言動を知り、私は(自ら)傷ついた。

それが正解なのだ。

 

私たちは相手に感情を強制することなどできないし、自分の感情を相手にコントロールされることなどない。全て自分が決めていること。

こう書くと、何か冷たさすら感じるかもしれないけれど、お互いがそれぞれ自分の感情に責任を持つということは、むしろお互いを尊重することだと思う。

 

と、これを書いている途中で雑誌が一冊届いた。お客様の待合用に置いている女性ファッション誌で、何となくパラパラ見てみたら、「間の良い人になるために」という記事を発見した。

相手の空気や言動全てを観察して、相手に求められる言動ができる人になろう、みたいなこのブログの内容とは真逆の記事(笑)

 

もうしばらくファッション誌系は興味がなさ過ぎて読んでいなかったけれど、あぁそうだったなぁって思った。

こうやって相手に、外部に自分を合わせて合わせて、そうできてこそ生き方上手だという記事が本当に多かったな。

そうやってお互いをはかりながら生きて、私たちは何を求めているのだろう。

 

ゲシュタルトの祈り」は人間関係の境界線がどれほど素晴らしいものかを、私たちに教えてくれる。

踏み込まないからこそ、ありのままの相手の姿を見ることができるし、ありのままの自分でいられる。

その人間関係の美しさを教えてくれるものはとても少なかった。

 

私はもうそうやってしか人と関係を築いていきたくはないと今は思う。

何故ならそれこそ、依存のない本来の愛という関係なのだから。